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路傍の晶

第18回

アトリエプラスアルファ  店長 川添さん

* 店長の川添さん *
* 店長の川添さん *
美容学校で1年間学んだのち、川添さんは「M.TANIGUCHIグループ」に入社した。現在も銀座をはじめ首都圏に17店舗を構える、美容界を牽引するヘアサロンである。さらに彼はグループでもカリスマ的存在ともいうべき四谷店に配属となり、以来4年間を過ごすことになる。
* 平和台駅近くのお店  *
* 平和台駅近くのお店  *
「四谷の4年間が美容師としての自分にとって大きいですね」川添さんは目を細める。
「男性の先生、そしていまでも銀座の店に立つ谷口愛子先生の技は鮮やかで、素晴らしかった。先生の仕事ぶりが好きでした。休みを数えても1ヶ月に一回あるかないかというハードなものでしたが、同時に仕事の魅力、おもしろさを学んだ。だからいまでも美容師を続けているんだと思います」

 専門学校を卒業してから客の髪を切るまでにさほど期間を要さなくなった現在とは違い、当時は店に立っても5年間は鋏を握ることを許されない。実際、川添さんも四谷での4年間、練習以外に髪を切ることはなく、パーマやカラーを仕事として担っていた。
* 明るく開放的な店内 *
* 明るく開放的な店内 *
修行の時代を終え、店を変わっても、古巣への愛着が止むことはなかった。「先生の仕事を見られないことが欲求不満になった」自分の仕事を終えるとその足で四谷に赴き、恩師の技術を求めた。また休みの日を利用して、ヘアメイクの撮影に同行することもしばしばだった。

 移ったサロンで3年を過ごすと、川添さんは他店から引き抜かれ、豊島園で店長を務める。独立を果たすのはその2年後だった。大塚で4年を過ごし、ふたたび豊島園に戻り13年間に渡って自分の城を築いたのち、平和台に現在の路面店を構えた。

 ここに来て5年、美容師歴は30年を数える。
「本当は50歳でやめようと思っていたんですけどね」川添さんは苦笑いする。
「クリエイティブな仕事だし、感性が大事。お客さまとしても若い人に切ってもらったほうがうれしいでしょう」

 だが苦笑する一方で、まだやめるつもりは毛頭ない。理由は独立当初から20余年、通ってくれる利用者の存在である。さらに長男が大学を中退し、美容師になったことも後押しした。勧めたわけではない。過酷な仕事であるがゆえ、むしろ反対だった。それでも息子は父の背中を追い、かつて父も学んだグループで修行を積んでいる。毎日のように終電で帰宅し、朝5時に出勤する姿は、まるで美容師として駆け出した若かりし頃の川添さんの姿に似ていた。

 今後は足を運び続けてくれる利用者の存在、そして息子にも美容師の先輩として進むべき方向を示さなければならない。恩師の技を求める立場に始まった仕事はいつしか、周囲から求められる存在へと変わっていた。

 ただひとつだけ、変わらぬものがある。かつて学んだ恩師は60歳を越えた現在も、銀座で店に立ち、訪ねてくる利用者のために鋏を走らせている。「僕も求められているうちは続けます。先生のように」教え子は、恩師のもとを巣立ち30年経ったいまもなお、その背中を追っていた。

  取材・文◎隈元大吾
http://www.scn-net.ne.jp/~jps/