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立教学院創立130周年記念行事すべて見せます

2008/08/22

案内人 渡辺憲司さん
立教大学文学部教授
「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」の実行委員長
案内人 渡辺憲司さん
立教大学文学部教授
「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」の実行委員長
今年、130年を迎える立教学院。
長い歴史の中、どのような道を歩んできたのか。
それを伝える記念行事が今年4月からスタートする。中でも注目したいのが、今夏開催の「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」だ。旧乱歩邸にある貴重な書物でいっぱいの土蔵が初公開。
ミステリーの扉が今、開かれる…。
江戸川乱歩
明治27年三重県名張市生まれ
江戸川乱歩
明治27年三重県名張市生まれ
隣接する旧江戸川乱歩邸と乱歩旧蔵資料を2002年に譲り受けた立教学院。今年同学院が130周年を迎えるにあたり、その記念行事として8月19日(木)~24日(火)の期間、「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」が開催される。単に作家と作品展にとどまらず、立教大学が「大衆文化研究の一環」として乱歩の仕事とその時代に取り組んだ今回の展覧会。「大衆の20世紀」をコンセプトに展開する展示と、乱歩が30年住んだ旧宅・土蔵公開の2本立てだ。
「乱歩が立教学院の隣、豊島区池袋3丁目に転居してきたのは1934年(昭和9年)。この時代は暗い戦争に入る直前で、非常に自由な気風が池袋にあったわけです。たとえば、大正後期には自由学園の創立や、『自由』の精神を掲げる立教大学が池袋キャンパスに移転を遂げ、昭和20年代には、マンガ界の巨匠、手塚治虫さんが 子母神近くのトキワ荘に引っ越してきたり、画家や彫刻家が住むアトリエ村ができたり…。すなわち、この池袋に自由な雰囲気を謳歌する新しい『大衆』が生まれたわけです。我々はこの大衆のための文学のリーダーが乱歩であったと位置づけています」
と話すのは、同展実行委員長であり、立教大学文学部教授の渡辺憲司さん。
乱歩といえば、「怪人二十面相」「少年探偵団」シリーズなど、数々の名作を残したミステリー作家。確かに志賀直哉などの純文学とは異なり、当時にしてみれば斬新な読みものだったに違いない。
「乱歩の場合、作品が漫画やアニメになり、人気を増幅させていく。このような文化を立教大学が『大衆文化』と名付けて発信していくというのが今回の主旨です。展示では『大衆文化』が息づいた昭和初期のいきいきとした自由な雰囲気を見ていただきたいと思います」
「幻影城」へようこそ。左右にも書物がびっしり詰まっているが、階段を上った2階も書物の山でいっぱい。
貴重な書物でいっぱいの土蔵が初公開!
貴重な書物でいっぱいの土蔵が初公開!
乱歩邸の応接室。モダンな内装が印象的だ。
乱歩邸の応接室。モダンな内装が印象的だ。
江戸川乱歩作品「ミステリー文学資料館」(TEL3986-3024)所蔵
江戸川乱歩作品「ミステリー文学資料館」(TEL3986-3024)所蔵
補修前の江戸川乱歩邸
補修前の江戸川乱歩邸
大衆文化を堪能したら、いよいよ旧乱歩宅・土蔵の見学へ。のちに戦災で焼け野原となる池袋だが、乱歩邸は奇跡的に戦火をまぬがれ今も現存。乱歩が自称した「幻影城」の面影そのままの佇まいだ。書庫として使われた2階建ての土蔵は、数万点を超える貴重な資料が収蔵されている。
乱歩は1965年(昭和40年)、71歳で死去するまでここで暮らしていたが、この薄暗い蔵の中で執筆していたという伝説もある。
「土蔵自体がミステリーなんですよね。例えば、土蔵の中には、主人公が愛した人形が踊っているとか、小説の推理をする上で題材になるような貴重な資料が埋まっているとか…これらは単に噂話ですが、謎めいているだけに想像が膨らむわけです。それが初めて公開されますので、単に噂話かはご自身の目で確かめてください」
区の有形文化財にも指定されている土蔵。このミステリアスな土蔵が今、扉を開こうとしている。
補修された現在の土蔵。しかし、内装は当時のまま残されている。
補修された現在の土蔵。しかし、内装は当時のまま残されている。
池袋銘菓「池袋 乱歩の蔵」
御菓子舗 池袋三原堂
西池袋1-20-4
TEL3971-2070 乱歩がひいきにしていた御菓子舗「池袋三原堂」から、乱歩宅の土蔵をイメージしたお菓子が登場。ふんわりとしたブッセが好評で、中身がチーズバターと杏ジャムの2種類ある。1個160円。
池袋銘菓「池袋 乱歩の蔵」
御菓子舗 池袋三原堂
西池袋1-20-4
TEL3971-2070 乱歩がひいきにしていた御菓子舗「池袋三原堂」から、乱歩宅の土蔵をイメージしたお菓子が登場。ふんわりとしたブッセが好評で、中身がチーズバターと杏ジャムの2種類ある。1個160円。
国聖公会の宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズ主教が築地に私塾を開いた1874年(明治7年)から130年を経た立教学院。その長い歴史の中で、同展では戦争期に焦点をあて、荒波の中をどう生き抜いてきたかを資料に基づいて叙述する。
1931年(昭和6年)、財団法人立教学院の認可を獲得し、独自の理事会をもって歩み始めた頃、日本を席捲しつつあった軍事主義化の波は同学院にも押し寄せた。ことに日中戦争以来の日米関係は悪化の一途をたどり、同学院経営の根幹を担っていた米国人宣教師なども続々と帰国。1942年(昭和17年)には建学の目的「基督教主義による教育」を「皇国の道による教育」に改め、チャペルを閉鎖。ここに至って同学院は「建学の精神」を捨てたのであった。
中庭での執銃訓練。背景は中学校校舎
中庭での執銃訓練。背景は中学校校舎
文学部授業停止に関する宮本日記。政府は戦争遂行を重視して理科に重点を置き、文科の統廃合を推進した。
文学部授業停止に関する宮本日記。政府は戦争遂行を重視して理科に重点を置き、文科の統廃合を推進した。
大日本油脂に動員された立教大4年生
大日本油脂に動員された立教大4年生
立教大学戦没将士遺家族「慰安の夕」のパンフレット
立教大学戦没将士遺家族「慰安の夕」のパンフレット
近年高まりつつある環境問題。
環境問題に意識をもつことをねらいとして、このプログラムでは、環境学習、自然体験学習を八ヶ岳周辺において実施する。
八ヶ岳は、日本を代表する人気のアルペンスポット。雄大な山々が連なり、とくに夏は青い空と輝く満天の星が魅力。この自然は未来の財産としてぜひとも残していきたいものである。
今回は、環境問題の学習をすすめながら、山岳清掃活動を実施。またサポーターからは、「地球に緑を、アジアの子どもたちに希望を」という目的のもとに寄金をつのり、その趣旨に沿った活動への支援にあてる。

この情報の出典 「まるごと池袋マガジン 池袋15’」